2019年12月23日月曜日
陸軍兵用背嚢(2)
この写真の背嚢は、昭和5年の改定時に牛皮革で覆われたものから防水帆布に変わったときのものを再現したものになります。
陸軍の兵士が背負う背嚢は、ランドセルのようでもありますが文字通り幕府軍の時代にすでにこの背嚢のことをフランス式ランドセルと呼んで公式な文書にも残していたようです。
ランドセルってそもそも外来語ではなのかという疑問が当然わくのですが、ランドセルはオランダ語のようです。ですからすでに軍隊が使用する以前から、貿易等によって我が国ではこの背嚢のことをランドセルと言っていたのかもしれません。明治新政府もフランス式ランドセルを採用し文書には、歩兵用、工兵用、砲兵用と分けて採用していました。写真の背嚢は、1844年時に採用された時から、中に木枠を設けて形の崩れないように形成し、長いベルトで装具と供に閉め、表は牛毛皮で多い雨に中が濡れないようにするというフランス陸軍のもののほぼコピーを採用していました。
昭和5年の改定により牛毛皮が帆布製のものに変わりました。この帆布には、完全防水茶褐綿4号という名称があります。この昭和5年というのは、被服も大改正が行わており、この背嚢の改正も同じ流れに乗って行われました。表面の牛毛皮の使用はなくなりましたが、その背当部分には、牛毛皮を使用していました。日本陸軍の背嚢は、欧州の陸軍は早い段階から帆布製のものを採用し、ご当家のフランスでさえも牛毛皮の採用を止めていました。日本陸軍がその高い防水性の信頼性がら長く牛毛皮製を採用していましたが昭和5年になり兵員の増員が必要になるとともに高い信頼性の防水性の高い帆布が開発されたことにより改定されたと考えられます。しかし、上海事変が起こったころの陸軍の戦闘は一変し、近代兵器の出現により防水性よりは機能性を求められるようになり、この背嚢はすこぶる評判が悪くなります。
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