2019年12月18日水曜日

万朶の桜か襟の色

万朶(ばんだ)の桜か襟の色 
花は吉野に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵戦(さんぺいせん)の花と散れ

儀仗隊員は、陸軍縁の式典には、この詰襟の軍衣を着用して参加いたします。
次の式典では、このありに注目をして頂くと嬉しく思います。
さて、この詰襟に付いています赤い襟章は、その兵士が歩兵であることを指ししています。陸軍は、その性質上様々な職種に分かれていて、一般的な歩兵、大砲を扱う砲兵、騎兵、航空、主計、憲兵、看護、医務、法務などの職種によってこの襟の色を変えていました。儀仗隊員は、歩兵科の赤を着用しています。襟章には、24という番号が見えますが、これが明治19年に福岡城にて設立された歩兵第24連隊の連隊番号を表しています。これが、上海事変も第2次事変あたりになると詰襟が欧州では、折り襟が流行り出すのを受けて、この付け襟に折り襟を付けたタイプに変えていきます。
この辺りから、連隊名や部隊名を秘匿するようになり、最初は、折り襟にこの写真よりも小さな連隊番号を付けていましたが最終的には、番号も付けなくなり、さらに秘匿された部隊番号のみとなり、見た目、兵士がどこの部隊で職種が何かさえ分からなくなりました。
これは、明治時代の日清、日露戦争時に着用していた陸軍の兵士の服ですが、肩に連隊名を表す肩章が付き、襟には、その職種を表す色が襟をグルリと囲んでいました。
昭和の詰めりの襟章は、この明治時代の名残であることが分かります、。昭和は肩に階級章を付けていたのですが、明治時代のものは、袖についています。
各連隊で手柄を競っていた時代ですので、連隊名が秘匿されていた時代に比べて肩に活躍した兵士の所属連隊名が大きく付いています。

最初に紹介しました詩は、歩兵の本領と言われる軍歌の一節で

万朶(ばんだ)の桜か襟の色 
花は吉野に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば散兵戦(さんぺいせん)の花と散れ

万朶とは、すだれ桜のことで、武士の道を桜にたとえるが如く、この歩兵の兵科を表す襟章を例えています。
吉野とは、あの豊臣秀吉も花見をしたとして有名な奈良の吉野山の桜のことで、その桜の花の散りゆく様を、兵士も同じように勇ましく散ろうと謳っています。

当時陸軍では、やはり歩兵が花形と言われて、歩兵以外の兵科になることを恥じたと言われています。


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