2020年1月30日木曜日

喇叭の練習


※喇叭の音が出ていますので、音量にご注意ください。

先日の軍旗新年祭にて、ご神殿に御祭した軍旗を前にして、隊員の皆さんが喇叭の練習をしています。この動画は、その時の様子です。儀仗隊の編成で欠かせないのは、喇叭の音色です。この良し悪しの評価が儀仗隊の評価にそのまま繋がってしまいます。現在、指導員が一人に対して、4人の練習生が練習しており、ほとんど毎日のように各練習生は、自宅等で喇叭の練習をしていますが、本職と違いますので、皆さん様々なご苦労をしながら、練習に励んでいます。月に一度の練習会に、このように儀仗隊としての練習の他にこの喇叭の練習も含んでおります。

2020年1月27日月曜日

歩兵第24連隊連隊歌奉納


歩兵第24連隊の連隊歌の歌詞は、連隊史などを通じて良く知っておりました。
内容は、福岡の郷土の歴史や連隊の歴史を良く表しており、歴史的にも非常に価値のあるものです。各連隊には、この連隊歌なるものがあり、レコードにもなった連隊もあるほどです。福岡第24連隊は、長いその歴史の中にも比較的平和な時期がありましたので、
レコード化されてもおかしくないのですが、郷土資料にも自衛隊資料室にもありませんでした。しかし、福岡城と陸軍の著者でもあります菅原道之元陸軍中尉の所有されます多数の資料の中についに楽譜が見つかり、私達は、地元の音楽家に編曲を依頼してついに伴奏をいれたカラオケを作成して、軍旗新年祭の時に、祭壇の前で唱を合唱して奉納いたしました。この音源が披露されるのは、実に戦後70数余年あまりの年月を隔てての合唱となります。※著作等のこともあり、1小節のみのご紹介となります。

作詞 24連隊将校団
作曲 陸軍戸山学校
編曲著作 護国神社衛兵隊

1 怒涛万里の玄海に
  昔をしのぶ舞鶴城、ここにたむろす 兵は
  我らが連隊 24
  五条の教えをかしこみて、ますら武夫の道はげむ







軍旗祭を実施しました。





陸軍の各連隊には、陛下より賜りし軍旗が授けられており、命よりも重たいものとして取り扱われておりました。各連隊ごとにその軍旗の授けられた日やその他の記念日を指定して、軍旗祭という地域の住民も集めたお祭りが行なわれていました。
私達も日頃お世話になっている方々や訓練の場所を提供してくださっている地域の皆様を集めて文化祭など、将来的には模様したいと思っています。
写真の祭壇は、軍旗は、陛下より皇尊の分け御霊の宿ったものとして神道に基ずくお祀りがなされており、あさぎ色の幕に神道の聖域を設け、神官などに祝詞を奏上させていました。この祭壇は、出来る限り当時と同じお祀りができるように再現したものです。
歩兵第24連隊の軍旗祭は、8月18日となっておりますが、新年のお祭りとして地域の方を少数ですがお招きをして、英霊への祝詞奏上や連隊歌などを奉納いたしました。

2020年1月21日火曜日

側車プロジェクト(2)



側車に搭乗した場合の雰囲気を読者の皆さんと是非、共有したいのでご覧ください。


2020年1月20日月曜日

衛兵隊側車プロジェクト


 

我が衛兵隊には、その出動する際に、主に将校の移動用や連絡員搬送、兵員輸送車両の先導などを行うための側車(サイドカー)を保有しています。これは、当時陸軍が使用していた陸王ですと言いたいところですが、これはご存じの方も多い中国製の水平対向エンジン搭載の軍用サイドカー「長江」が基礎となっています。車体は、非常に古い品物ですがまだまだ現役で走行可能です。これを、日本陸軍の車両と見違えるような改造を施して、皆様の前に登場させていきたいと思っています。
近々で福岡の街を、その宣伝活動も兼ねて走行を予定しております。その様子は、後日Youtubeなどでご紹介できると思います。











2020年1月17日金曜日

歩兵24連隊慰霊祭


 福岡護国神社との協議で、福岡歩兵24連隊慰霊祭が来る4月05日(日)に福岡郷友連盟との合同開催で行われることが決まりました。
現在では、関係者の数も年々と少なくなり、歩兵24連隊の英霊をお祀りすることも護国神社にとっても、近い将来に関係者の参加のない永代供養のようになってしまうと懸念されておられましたので、今年からは、正式に護国神社衛兵隊が出動し、しっかり英霊の御霊に対して、良くぞ、我が郷土と国土の名誉をお守りくださいましたと感謝と尊崇の祈りを捧げる顕彰のお手伝いをしたいと思っています。
当日は、自衛隊OBで組織された福岡郷友会も同じく参列されますので、今年からは、寂しい参列者と言われることは無くなると存じます。
皆様もご賛同を頂けるようであれば是非、ご参加くださいませ。

日時 4月05日(日)11:30~

場所 福岡護国神社

※護国神社衛兵隊は、連隊旗とともに参加し、信号兵による喇叭の顕彰演奏も行われます。






2020年1月14日火曜日

桜花会東郷元帥公園


東郷平八郎元帥閣下の顕彰公園で簡単な動画を撮影しました。賛否は勿論あるとは存じますが、単なる喇叭と号令の実験的な動画ですので、気持ちを楽にしてご覧ください。

※急に大きな音が出ますのでご注意ください。






2020年1月13日月曜日

海軍顕彰会IN呼子


 佐賀呼子町には、海軍甲飛14期の久万宇幸元海軍二等兵曹を会長とする海軍の兵下士官を中心の「桜花会」という軍人会がありました。この時期には、毎年、田島神社を中心とした海軍顕彰会を実施しておりました。ここ呼子には、桜花会の開設しました軍服資料館、江田島にある海上自衛隊術科学校にあります海軍大将伊藤整一長官手植えの桜「親子桜」、東郷平八郎元帥を記念して建てられた閣下の石像など田島神社を中心に配置されており、桜花会が長年、呼子市民とともに守られてきたものです。その桜花会のその伝統を、我が護国神社衛兵が引き続き、呼子市民の皆様と一緒にお守りをさせて頂いております。
※東郷元帥閣下の石像につきましては、後日詳細をレポートさせて頂きます。
しかしながら、現在ではこの桜花会と市民が守ってきましたこれらの顕彰施設も時代とともに風化し始めており、どのようにして残していくかが今後の大きな課題です。

毎年この時期には、元海軍の兵士の皆様が桜花会の集いということで、呼子の街をこの海軍陸戦服または三種で闊歩されていましたので、すっかり街ではこの時期に海軍さんの服が街の中を歩くのが普通になっております。私達が歩くと
「また、今年も集まりがあるとね。。」「頑張ってねえ」と朝市のお姉さまがたから
声を掛けられるのもまったく例年のこととなっております。

もし、皆さんの中で海軍軍装をお持ちのかたは、機会ありましたら是非この時期に呼子へお越しください。一緒に海軍軍装で街を歩きましょう。

詳しくことは、お尋ねください。




2020年1月10日金曜日

軍帽製作のお知らせ



45式兵下士官軍帽、購入希望者募集


 新入隊の儀仗隊員の為に、45年式軍帽を新たに製作中です。数を多く作れば、1個の制作費が安くなりますので、読者の方で是非、一緒に購入してみたいという方がおられましたら、メールにてお尋ねください。
帽章は、帽子屋さんが数十年前に制作された45年式軍帽用の帽章を分けて頂いたもので、今では貴重な国産真鍮製です。庇は、上を本牛革、下は豚革という当時と同じ作りとなっています。耳章は、残念ながら現代の制帽用耳章になります。帽子の裏には、当時と同じように麻芯を使用しています。現在、入手可能な国産材料を出来るだけ使用し、当時の軍帽らしさを形成するために専門の制帽製作所にお願いするようにしています。

※現在、市販されています45年式軍帽は外国製品のものが多く、とても日本の軍帽とは思えない形をしています。私達は、出来る限り当時の軍服らしさを大事にするために、軍帽や軍服の再現には、細心の注意を払いたいと考えています。



ご希望の方は、以下にお尋ねください。

hakata1air@gmail.com






2020年1月9日木曜日

田島神社との関係


佐賀県唐津市呼子町加部島にある九州でもっとも古い神社の一つである田島神社は、
宗像神社と同じく天照大御神より生まれたとされる三女神をお祀りし、大山祇の神、
稚武王をお祀りしています。この神社は、松山空甲飛14期出身の桜花会の会長が、私達への様々な海軍軍人としての所作をご指導して頂いた場所であり、さらに桜花会そのものが、この神社の役員でもありました関係から、現在も衛兵隊の練習場所として提供して頂いています。、戦時中には、三女神だけではなく、勝利の神とされる大山祇の神、三韓征伐時、神功皇后の指揮下にあった海軍の指揮官でもありました仲哀天皇の皇太子であった稚武王への参拝を、在郷軍人、唐津署の警察官の有志が事あるごとに、戦勝祈願を行っていたという、軍人が多く集う神社でもありました。戦後は、戦争を忌み嫌う世相を背景に、長く大山祇の神、稚武王の御祭をなされておりませんでした。
桜花会の会長の望みでもありました、終戦まで行われていた大山祇の神、稚武王の御名を称える参拝を私達が引き続き、毎年1月初旬に行っております。



神功皇后のご存在と三韓征伐の話などは、戦後教育の中に完全に隠されたものとなり、
現在では、その名前を知る人も少なくなっています。
私達は、活動を通じて、広く神功皇后の関係する皆神様への弥栄を記念したいと思っています。


2020年1月8日水曜日

歩兵第24連隊の連隊歌




 福岡歩兵第24連隊の連隊歌の歌詞は、福岡連隊史の中に掲載されていたので比較的簡単に詳細を知ることができたのですが、その音源となる楽譜やレコードといったものが
陸上自衛隊春日駐屯地の資料室でもそこになく、諦めていたのですが、この度、菅原道之元陸軍中尉の記録の中にひょっとすると楽譜があるのではないかと、もう一度調べ直したところついに楽譜が見つかりました。

これで、70年数年ぶりに福岡歩兵連隊歌を皆さんに発表できることになりそうです。
今の自衛隊でもこの連隊歌が一般的に各連隊にあるようですが、当時の陸軍にも各連隊の風土や文化を絶妙に表現された連隊歌なるものがあり、福岡にも比較的は平和な時期に日清戦争や日露戦争で大きな手柄を立てた24連隊を記念して、将校を中心に有志より詩が纏められ、陸軍戸山学校軍楽隊により作曲された24連隊連隊歌というものが存在していました。
歌詞の中には、24連隊がその連隊番号から分かるように比較的古い連隊であったので、連隊旗を明治天皇により拝受されたことが入れられています。



2020年1月6日月曜日

丹賀砲台顕彰慰霊祭

 大分県佐伯市に陸軍丹賀砲台跡という佐伯市教育委員会が維持管理をする立派な場所があります。1941年大東亜戦争の開戦とほぼ年を同じくして、豊後水道の通過を試みる敵艦に対抗すべく要塞建設が始まります。その要塞の中でも、戦艦伊吹の大砲等を地上に移設して、他はカノン砲などの設置が行われました。1942年1月、丹賀砲台にて大砲の連続発射の訓練が実施されましたが、訓練に立ち会った内藤連隊長は、大砲が異常な熱を帯び始めていることを指摘して、訓練の中止と停止を提案したが、あと数発をとの具申もあり、連隊長がそのまま訓練の続行を認め、次の砲弾を装填したと同時に大砲の爆発し、連隊長を含む20数名の死者をだしてしまった事件がありました。

この丹賀砲台跡は、佐伯市の河野市会議員を始め、歴進会という地方歴史遺跡保存の任意団体の尽力で、佐伯市教育員会より管理運営されています公的な場所です。
私達、儀仗隊員は佐伯市の歴進会の皆さまより依頼を受け、陸軍式の特に顕彰式典を行いました。
丹賀砲台は、完全に吹き飛んでしまった伊吹の砲台の置かれた砲土台の跡や弾薬庫がそのまま残されています。

場所:丹賀砲台園地
所在:大分県佐伯市鶴見丹賀浦
火曜日、水曜日定休日
観覧料200円





2020年1月5日日曜日

30年式銃剣


※実物の30年式銃剣、米国テキサス州にて撮影したもの

米軍は、日本兵の刺突突撃を非常に恐れていました。この30年式銃剣を付けた38式歩兵銃は、まさに銃剣道の木銃そのものであり、まるで槍のようでもあります。
陸上自衛隊久留米幹部学校に飾ってある日本陸軍の刺突突撃の油絵に、これを見つけた米兵が銃剣で刺した後があります。それは、戦後進駐していた米兵が、日本軍の突撃に強力なトラウマとなっており、その油絵を見た米兵は、半狂乱となり、絵に向かって刺突を繰り返したという逸話が残っています。
米国での文献でも、しばしば日本陸海軍が銃に付けた長い銃剣を使って夜陰に紛れて奇襲を繰り返したという話が数多く残っています。
この銃剣は、欧州では、ただの槍のようになったものが主流で、日本の銃剣は日本刀のデザインや精神性をそのまま引き継ぎ、兵士には武士の魂としての側面をこの銃剣に持たせていましたが、日本刀のように刃の焼き入れがないために、切るための刀ではなく、銃の先に槍のようにして付ける槍先のようなものだとも捉えていたと考えられます。







2020年1月4日土曜日

陸海軍軍刀抜刀術



陸海軍の士官と言えば、軍刀は欠かせません。この軍刀といは何かを定義することは後日に譲ることとして、今日は大雑把な総論をひとつ。海軍は、短剣というイメージがあると思いますが、式典などではサーベル型、陸戦衣着用時には太刀型の軍刀を、陸軍では、はじめにサーベル型でしたが後に、日本刀本来の形に寄せた軍刀を使うようになります。
今では、剣道をやった経験のある方でも真剣を用いての抜刀術を練習されている方は少ないと思いますが、明治の陸軍の創成期時代には多くの陸海軍士官が武士の嗜みとして日本刀を使いこなしていたようです。昭和に入り大量に士官が必要になってからは、日本刀など全くと言っていいほど扱えない士官が続出して、持ってきた自分の刀で演習中に自分の足や手を切ってしまうものが続出して、特に陸軍はこれを深刻に捉え、陸軍戸山学校において、抜刀術をまとめて俄か士官にその練習方法を各部隊で広め教えていました。陸軍では、これを戸山学校から取り戸山流と呼び海軍では、兵学校では英心流と高山流という抜刀術を嗜んでいました。
 しかし、戦後は、GHQの武道禁止令により、空手も柔道も剣道も中止された中、当然居合道も禁止されていました。平和になり徐々に柔道、空手、剣道が許されていく中、居合道だけは、その実践的な振る舞いに長く禁止となってしまします。
そこで、古武道とされる剣道袴を着用しての居合は、解禁されていきますが、中村宗家を中心とした戸山流の場合は、剣道袴を着用せず、上の写真に近い、足を固めてのズボン姿でその形を伝承しようとしたのです。しかし、ズボンに刀を差した状態では、GHQの去ったあとでも日本の警察に人殺しの稽古をしていると指摘され、より精神修養を重視する古武道スタイルが定着してしまいます。
着装が違えば、所作も違ってきます。写真のように鉄鉢(ヘルメット)を被って、腰に刀帯を取り付けたタイプと侍のように腰に差す状態では、抜刀のスタイルも全く変わってきます。
私達は、本来、戸山学校で取り組んでいた抜刀術を、現代的な思考から来るものではなく陸軍が取り組んできた操法を出来る限り現代の古武道的な思考を除外して、陸海軍の抜刀術の継承にも取り組んでいます。
当然日本の居合道から来るものですから、粗暴に刀を扱い、ただ切るだけのスタイルに陥らない精神性の修行を無視しては、道に外れることになりますので、そこは、注意が必要です。
もし、私達が、この陸軍戸山流のちゃんとした伝承に失敗した場合には、日本にはもはや陸軍戸山学校で行った直系の抜刀術は、(陸軍の装着方法に従ったもの)私達以外に修行する場所はなく、これも伝統文化を守る意味でもしっかり後世に伝えていかねばならないと思っています。


2020年1月3日金曜日

謹賀新年








 謹んで新年のお祝いを申し上げます。昨年は、沢山の方々に支えられて儀仗隊は
様々な式典のお招き頂き、心から感謝申し上げます。年末からは、専用のブログの開設に伴い、新たに多くの読者の皆様とも縁を頂く機会を得ることが出来ました。読者の皆様、今年もどうぞよろしくお願いします。
 私達の精神の支柱でもあります護国神社関係の皆様、御守神の田島神社様、福岡郷友会の皆様、陸上自衛隊春日駐屯地の皆様には、昨年から福岡連隊の調査にはご尽力を頂き、航空自衛隊春日基地の皆様は、陸軍墓地祭では直接ご協力を頂き、皆様には改めて感謝を申し上げます。今年も、変らぬご支援をよろしくお願いします。

今年は、私達の護国神社衛兵隊もNPO法人や公益法人格などの非公益団体を、目指して更に公益性と透明性の高いものにしていこうと思っています。更なる隊員の増員と装備品の充実、側車(サイドカー)や兵員輸送車の運営など、私達を側面から支援して戴く皆様への配慮もあり、単なるサークル活動から昇格させておかなければならないと痛感いたしました。
私達も、活動を重ねるごとに更なる新隊員の参加が増え、頼もしい限りなのですが、これは、どの会社や任意団体も同じだと思いますが、新しい隊員迎え、次の時代への如何に継承させていくかが更なる課題として上ってきています。
これは、旧陸海軍軍人会の皆様が持っておられた次世代への継承を如何にせんといった課題をそのまま私達も同じ課題を背負っています。是非、これらの問題をスムーズ化させるためにもNPO法人化などに務めたいと思います。









織幡神社で連隊旗の月並祭が実施

  神功皇后が三韓征伐にお出ましになられる際に、軍旗を編まれたとされる軍旗ゆかりの神社にこの度、護国神社衛兵隊がお守りする軍旗の月並祭を実施することとなりました。 軍旗は、すでに福岡護国神社にて御霊入れの儀式を済ませておりますので、ご神体と変わらない存在で月並祭などを定期的に行わ...