2019年12月18日水曜日
ついに福岡連隊模型との対面
陸上自衛隊春日駐屯地、広報室に福岡城の模型があります。これは、城というよりは、福岡連隊の姿を記録する貴重な資料です。
福岡連隊は、明治19年に連隊へ格上げされて以来、明治時代から終戦まで、福岡の陸軍の衛戍地として兵を徴収して育成し、山笠などの御祭では市民と共にお祝いして、城とは塀を隔てていますが生活を共にし、戦時には、そこから各戦地へ移動していきました。
この模型は、兵舎や連隊本部、陸軍病院の位置まで非常に良く分かるように作られており、福岡城にあった陸軍の様子が手に取るように分かります。福岡の陸軍の研究などをなさる方には、一級品の資料となります。
これは、福岡駐屯地の広報室があまり一般に開放されていないという性質上、あまり知られていません。西日本シティ銀行の公式ホームページに当時の連隊の様子が書かれていますが、そこで挿絵となって登場してくるのがこの模型の白黒画像だったので、ひょっとすると天然色ではこのブログが初めての紹介となると思います。
この写真は、大手門交差点の通りの様子を示しています。この大手門交差点は、このまま入ると福岡城跡を左目に身ながら、福岡護国神社へと繋がっております。
当時は、この道路も交差点もなく潮見櫓を通らなければ、城内に入れなかった様子が良く分かります。
模型によれば、潮見櫓を通って将校会館を右に見ながら、奥へ進むとすぐに隊門があり、それがどちらを向いていたかなど、実際の写真と比べれば非常に良く分かります。兵舎より護国神社側へ行くと天守閣へつながる城壁の前に白い煙突が見えますが、それはお風呂場であったようです。
さらに、2階建ての横に長い兵舎が確認できますが、木下啓介監督の映画「陸軍」でも、連隊本部停車場で撮影されたので、路面電車の様子だけではなく、背景にこの兵舎が映りこんでいます。
この模型は、資料と照らし合わせる上で非常に貴重なものとなります。
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