2019年12月17日火曜日

あの旅順を陥落したのは、歩兵24連隊!


1894年に始まった日清戦争にいち早く大きな手柄を立てたのは、福岡歩兵24連隊でありました。当時、大山巌大将を軍司令官にして第2軍混成第12旅団の隷下に24連隊は所属していました。
同年11月、24連隊を戦闘に旅順への総攻撃を開始し、連隊長以下連隊の兵士たちは、連隊旗を必ず二竜山頂上に押し立てるのだと息巻いていたようです。しかし、激しい敵の砲撃や銃弾の雨は、流石の24連隊も進撃の歩みを止めてしまいました。そうしていると味方の夜戦砲兵部隊が駆けつけ、砲撃を開始、その援護を受けるないなや、ここぞとばかりに軍刀を抜き吉田連隊長は、「軍旗護衛は、第三中隊の1分隊のみがこれにあたり、他のものは全員敵陣に突っ込め」と叫び、この命令を受け連隊の各兵士は突撃に次ぐ突撃を敢行して、二竜山砲台を占拠して、そこで大きく連隊旗を振りその栄誉を大きくアピールしました。
この事により、福岡の連隊は、日本陸軍至上、最強であるとの評判が全国に広がりまりました。上の絵は、日清戦争時の活躍を描いた錦絵の画集の一つで旅順の攻防を描いたものです。旅順をほぼ単独で陥落させたのは、福岡24連隊であるところから、ここにあがかれている連隊旗は、24連隊のものである可能性が非常に高いです。
旅順陥落の時、福岡市警固に居住し、連隊旗手だった権藤少尉は、このことで金鵄勲章を授与されています。

仁川に上陸した第2軍混成12旅団の各連隊は、仁川から約45キロある京城を目指すことになるのですが、24連隊吉田連隊長は、「一刻も早く京城に入れ、他の連隊に後れを取るな」と激を飛ばし、他の連隊は上陸後一泊する中、夜を徹して京城をまで歩き続け出兵の当時から24連隊強しとの評判が高かったようですが、旅順攻略のおかげで「九州に24連隊あり」「陸軍至上最高の連隊」との名声に繋がる事になります。






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