吉松速之助 『女ら殺したち、なんちゃあならん。命を助けるよう、わしが掛けおうちゃる』
神保雪 『御無用でごぜえやす。それより脇差をお貸しください』
吉松速之助 『おまん、名はなんぜよ?名ある武士の妻か。言うたら、夫の恥になるかえ?』
『三途の川を渡る時は誰それの妻と堂々と名乗りや』
『三途の川を渡る時は誰それの妻と堂々と名乗りや』
というと短刀を渡しましたら、躊躇うこともなく見事に武士の妻らしく果てて逝かれました。
さて、この吉松速之介は、小倉第14聯隊から2大隊を福岡城へ派遣されましたが、その時は、大隊長として少佐に昇進していました。1877年の西南戦争が勃発すると、福岡城から熊本城を目指して行きました。皆さんご存知のその途中の田原坂で薩摩軍の急襲にあい、
小倉時代の友人だった乃木希典大将とはその時に軍旗を奪われています。
動揺した乃木に現場を離れて連隊の立て直しを図るように促しますが、吉松少佐は、20名の部下とともに現場に留まり、負傷し、その傷がもとで死去しました。
彼も福岡縁の武人です。


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