2019年12月30日月曜日

士官服と兵下士官服



上の写真は、福岡歩兵第24連隊のある中隊長付き準士官、下士官の皆さんの貴重な写真です。赤の線で囲んだものは、下士官最上階級の曹長のもので、通常の兵下士官と若干の違いがありますが、軍衣袴が国軍である以上は、国の支給品であるという点が重要です。
これは、国際法上も非常に重要な概念で、当時は私費による軍閥や大地主の徴税権までもった地侍の延長のような兵、政府に反旗を翻して反乱する反乱軍としっかり差別化する意味でも兵の軍服を国が認めた基準の服を国が徴集した兵が着用するというのが、重要な構成要件の一つでした。
ところが、欧州の場合には、王のためにと応召した貴族の出身者、その縁のものと一般から徴収された兵とを区別する意味でも将校と兵は大きく分けていました。
これは、現場の事が何一つ理解できない指揮官が指揮棒を振るい、現場を混乱させ、現場で統率力を失うという十字軍依頼の法則が、複雑化して」、さらに集団力を要求される近代戦争の軍隊にとっては、大きな障害となった面が大きいと思います。
日本海軍は、ある程度この伝統を受け継いでしまった面があると思っているのですが、日本陸軍は、ドイツに習って将校も士官学校で本格的な将校になる以前に予科士官または見習い士官として兵と生活を比較的長期に経験させています。
これが、日本陸軍を構成する大きな背骨になっていったようです。
さて、服のお話しに戻るのですが、この写真には、黄色の線で囲まれた特務曹長の着用している服の写真と先ほどの赤の線で囲まれた曹長殿の服の写真と比べて頂きたいのです。特務曹長殿の服は明らかに士官の軍帽、軍衣袴で当時、この特務曹長と海軍の兵曹長は、今で言えば准尉として士官に準ずるものとして扱われていました。ですから、服は、下から上まですべて自費で専門の仕立て屋さんに注文して、今のような既製服ではなく、すべてオートクチュールして用意していました。実は、福岡城の近くには、このような陸軍将校の服装品を専門に仕立てていた洋裁店が数点あったのですが、今ではすっかり消えてしまいました。
英国では、あの背広の語源となったサビルロー街の専門店には、士官ご用達の服装店が未だ現存します。
陸軍将校と兵下士官では、赴きが同じように見えても、生地、ボタン、ポケットの形状、襟の高さ、襟の形状、袴の形状とすべて違うと言っても良いと思います。
今から考えれば、その威厳を保つ、兵と将校の一線を引くなどの一定の効果はあると思いますが、その存在が一目でわかる将校(士官)は敵からすれば、恰好の標的です。
儀仗隊も士官と兵下士官の服装は、はっきり違いが分かるようにしておりますので、
今度、見かけられましたら、そこも注目ポイントです。









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