2019年12月20日金曜日

権藤久宜少佐の記録



ロシアへの宣戦布告が行われる直前に、福岡歩兵24連隊は、日清戦争で活躍した朝鮮半島韓国臨時派遣隊として出陣の準備をひそかに行っていました。その際の記録が歩兵24連隊第3中隊中隊長、権藤久宜大尉のものとして残っています。大尉は、明治36年(1903年)に陸軍大学校大17期の首席として卒業された若きエリートで、福岡市内の警固に居住され、多計子夫人と父、子供お二人と暮らしておられました。二月のある日いつも通りに週番司令を務めた後、またいつものように帰宅して就寝していると「直ちに営内へ集合せよ」との非常呼集を受け、それに応じて急いで身支度をしていて、婦人に「営内へ行ってくる」と言い残して家を出ていかれました。何も動揺することなく素早く身支度して出て行かれた様子から、おそらく、近々で出征する可能性のあることをご存じだったのでしょう。その翌日、中隊長付きの従兵が自宅へやって来て、
「中隊長殿が将校行李(こうり)を持ってくるように命ぜられました」と告げたどうです。行李とは、写真の如く、私物や制服、着替えなどを入れるスーツケースのことで、明治の時代だけではなく、昭和の時代でも将校は、このようなスーツケースを所有していました。その写真の中の解説では与えられたと書いてありますが、すべて将校は、これらを自費で用意していました。
中隊長は、従兵は、奥様へ裏側に走り書きのように書かれたご自身の名刺を渡すとそこには「今日、出征の途へ上る。停車場への見送り一切無用」と書かれていたそうです。
やはり、いかに隠密裏にしかもあわただしく出征されたのかが分かります。

権藤中隊長は、日清戦争の時は、連隊旗手を務め、特に旅順攻撃の武勲により金鵄勲章を受けておられた軍人で、記載の通り、陸軍大学を首席で卒業され、日露の戦役に従軍されておられますが、その後の明治41年(1908年)に死去とあり、非常に若くして亡くなられておられます。
陸軍大学の記録では、少佐に昇進した旨ありましたので、あえて表題には少佐と記述いたしました。


軍人が授与された最高勲位の勲章、金鵄勲章5等

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